昭和45年11月23日 月例祭における御教話



 今朝の御理解に信心は大きな信心が良い、迷い信心ではいかん、一心と定めいという御理解に基づいて、今朝から頂きました。ね。信心は大きな信心でなからなきゃならん。ね。同時に迷い信心ではいかぬ、一心と定めいとこう言う。先ほど前講を北野の中村さんがお話になりました。本当にもう少し時間をかけて聞きたいねと思うような、素晴らしいお話でした。10分か15分間でようもあれだけ。
 まとめられてお話が出けられたと思うた。やはり何を持っておるだけではなくてね、そのお話をさせてもらう、その稽古をなさらなければいけません。それはもう素晴らしい表現でした。開口一番中村さんが言われた事は、ね、打てば響くほどしの神様を頂いておる、という事でした。ね。打てば響くほどしの神様。言うならば一分一厘も間違いのない神様。そういう神様を頂いておるのであるから、私どもが思うておる事行なうておる事。または、言うておること。
 その言うたり思うたり行なうたりしておる事の中に、間違いのない生き方にならなければならないという事を、神様は絶えず私どもの上に、そういうお働きかけを下さいますという事を、何年か前の体験を話しておられます。今(? )に縁に付いておられます恵美子さん。まだ娘時代の話でした。家向かいにお友達が、娘の友達が、恵美子さんの友達がある。向かいの娘さんは、明日勤めに出ておられるんですね。
 明日は日曜だから、お母さんゆっくり休ませてくれと言うて休まれた。所が私どもの恵美子は明日は日曜だから、当時の椛目に朝参りをしたいから、お母さん目覚まさん時には起こしてくれと言うて休んだ。それを聞かせて頂きながら、つい中村さんほどしの人でも、人間心が起こった。ほんに信心しておりゃ、たまに日曜にゆっくり休ませる事も出けない。もうそれこそぐっすり寝ておる者を起こすのは、親としても辛い。ね。
 信心なからにゃ明日ゆっくり起こしなさんなと言うて、親に言うて休みなさるげなが、家の恵美子は反対に、明日の朝は朝参りをさせてもらいたいから、お母さん起こしてくれと言うて休んだ。まあある意味で信心しとるけん可哀想だなあと思うた。ね。そしたなら、それこそ打てば響くように、ね。途端に体がきつうなり動機が打ってくる。さあ娘達が、お母さんどうしたかと言うて寄って来るほどしに、さあ医者を呼ぼうかというほどしに、もう物も出らんほどにきつかった。
 それで手を振りながらその事を、医者はいらんと思われ続けられたら、また元通りのおかげを頂いたという話をなさっております。ね。素晴らしい打てば響く様な神様だと。私どもが願うても願うてもおかげにならん。言うならば打てども打てども、打てども良い音が出ない出らない。ね。それはまあ太鼓で言うならば、破れておる太鼓の様なものではなかろうか。ね。破れ太鼓を叩いたってそれは喧しい音しか出ません。
 ドドンドンドンと言う様な音色が伴って来ない。ね。耳を塞ぎたい様な音しか出て来ない様なものではなかろうか。今日初めて男の楽人さん達が、所謂初途上を致しました。今日の装束を着けましてね。で今日は笛がまだ出けておりません。大体は笛が一番安いんだそうです大笛が。所がやっぱり熱心なモンにゃ勝ちません。大体は篳篥が一番難しいと言われる篳篥が一番に調達したと先生が言うておられます。
 ですから私が入ればまあ仕えられるでしょうと言うので、今晩のお祭りに出られてやっぱり結構言うなら笙篳篥それに琴がなりますと、今までとまた違った雰囲気でお祭りを頂かせて頂く事が出けた。所があの玉串を私が奉る時に玉串には必ず笙が入る。いつもは出けておるんですけれどもね、もう今日は一人で吹かなきゃならん、昌一郎さんが吹きました。所が耳の方がどんどんどんしよるもんだから途中で止まってしもうた。
 私も玉串を上げかけてちょっと勢い、あれは中々微妙なもんですからね。あの笙の音色に音色に乗って、こう玉串を奉るんです。ほれでもう本当に有り難い、言わばむごらしゅう玉串が上げられようとする所でちょっと止まったから、とまた一応(  )様にしてまた私、暫く御祈念させて頂いたら後が続いた。でまあおかげで玉串の奉納が出けた訳でございましたけれども、ね。やはり稽古だなとこう思います。ね。
 私共この信心をさせて頂くという事はね、そげんも難しい事は出けんていうのじゃないです。例えばなら笙、篳篥を稽古する様なもんです。そうですね、まだ1ヶ月は致しておりません。それも何日おきにかです。それでもやっぱ鳴る。先生に連れて行かれたら吹けれるようになるんですからね。私共はもう何十年間子供の時から見て来たり、聞いて来たりしておりますけれども、まあ吹けと言われたって吹かれる気がしません。
 やはりそれに取り組んで稽古をするという事です。ね。しかも例えばまあ楽譜と申しますかね、譜面を見てその通りに弾けばあのような音色が出るのです。信心もそうです。今日、中村さんが言われたように、一分一厘の間違いのない働きとか打てば響くほどしのおかげというおかげもです、ね。私どもがその事に取り組んで信心をするならば、ね、それこそ打てば響くように又は、ね、丁度その楽器を吹奏するように、ね。
 その音色が必ず出らなければならない様な、私は道理になっておるのが、信心のおかげだとこう思う。ね。だからそんなに人間じゃけん、一分一厘も間違いのないごたるともいかんてと思いますけれどもねそうではない。言う事行なう事。ね、思う事もです私共が信心の御教えを頂かせて頂いてその事にならせて頂こうという、本気での稽古が出けるならば、今日笙を吹きまして篳篥は新しいしかも十日か十二日の間の稽古によってです、日に1時間か2時間かの稽古によってあれが出け多用にです出けますようにです。
 是からそれが上達すると言う事においては、限りがありますまい。所謂(   )という事になればです、是はもう限りがないのです。信心でもそうです有り難いと言うても、是ほどしも有り難い、これ程も有り難いこれ程も有り難い。ね、もう有り難うして有り難うして堪えんちゅうごたるとも有り難いと。ね。そこでです、ね、今朝から頂きますように、例えば最後に、一心と定めいという事は、ね、信心とは結局どのような場合でも、有り難いという答えが出て来る所まで、煎じ詰めて行く事です。
 ちょっと引いて・・・(子供のこと?)だから、本気でやはり稽古してですね、結局有り難しの追求です。どんな場合でも、有り難いという答えが出、此の方の道は喜びに喜んで開けた道とも。ね、此の方の道は喜びで開けた道じゃから、苦労はさせんとも教えておられます。ですから一心と定めるという事は、もう私だん一生金光様の信心から離れないというのではなくて、ね、一心と定めるという事がです、ね。
 有り難いという答えの出るところまで、それはどのように情けない事でも、どんなに腹の立つような事でも。そういう腹の立っただけじゃない(             )。同じ事柄でも、その事が、その事が有り難いなあと。先日昨日の晩でした。その楽長の田中さんが、医者がもう難しいというほどしの大病にかかって、奇跡的に助かった。ちょうど、10年になるから、お礼のお祭りをしてくれという事であった。
 親子もそろうて、ここにお礼に出て参りました。それこそ海山川の草ぐさの物を奉って、神様にお礼を申し上げた。一家中の者が玉串をあげて、お礼を申し上げた。そん時にここで親子、孫そろうてお礼に出て参りました。その事のお届けがあっております時、おばあちゃんが、おかげを頂きましたあ!ちゅうて頭を下げたもんだから、その1つになります、あの孫も、一緒に、ははあと、頭を下げた途端に、その、家族の者は、それこそ目から火が出るようなっちあるでしょう。
 ガブッち言うてから、ここにこぶができるほどでしたから。ですからね、その私だん、あらっという間もなかった。それでこう上げてアアンち言うて泣きだそうとした時に、この電気がその瞬間間髪入れずパッとついたんですよ。それでああんち言うのと、こうやって電気がついたとが一緒でしたから、後が泣き笑いになった。とうとうそんなふうじゃった。はあおじいちゃま(有り難うございますち?)言うててから、もうなでさすりした訳ですけれどもね。もう、それは泣くのが当たり前。




 私信心させて頂いておるとですね、確かにそれこそ目から火が出るような事も起こって来るけれども、次の瞬間にはあれがパッと明かりが点くほどしのおかげの準備がしてあるという事です、必ず。
 ですから、叩かれりゃ痛い事は痛いけれども、やっぱ有り難いんだと言うのです。ね。だから、合楽で、そのそれこそ中村喜久代さんじゃないですけれども。ね。ある、何かにかの修行をなさって修行を終えられた時に、御本部の奥城で、キクヨというカタカナの字であった字をです、あの、喜び久しいという、そのお名前を頂かれた。ね。そして、この喜が無くなると、後は喜久代ですから、後はくよくよになるです。だから、喜びを外してはなりませんよ中村さんという御理解の後に、喜久代という漢字でもう名前を頂かれて以来、中村喜久代と、こう書いておられる。
 ですから、ちょっとこの人がくよくよしなさると、もうおかげの方へ、打てば響くように、それこそ現れて来るですね。はあ、今中村さんはら、くよくよになっとるとがのと、パッと気付かれる。そして、そこから、また有り難いものを取り戻して、まあ、次の信心に進まれるというような、まあ、ここ合楽の20年間の、まあ大ベテランであります。ね。なるほど、この神様は打てば響くほどしのおかげ。
 言うなら、一分一厘間違いのないおかげを下さることの出けれる神様なのだけれども、私どもが言うておる事、行なうておる事、思うておる事が、そこに一分でも一厘でも間違ったら、そこに間違いが起きて来るんだと。起こった時には間違いが起こったと悟らにゃいけん。そんなら、その一分一厘間違いがないといったような生き方は、そのように難しいかと言うとです、本気で稽古するなら、楽、篳篥の稽古のようにです。ね、言うならば、一つのリズムというか、リズムが出て来るほどしの良い音色が。
 そこには、本気でその事に取り組んでの稽古が出けるならば、決して難しい事ではないという訳なんです。ですから、合楽では菊の花を、合楽のシンボルのように申します。菊の花。菊の花のお知らせを頂きますと有り難い。合楽的なおかげ、合楽的な喜びという訳なのです。今朝から、麻生さんがあるお届けに出て見えられました。昨日、日田の支部と、ここの、いわば支部と本部で野球の試合があった。二チーム出けた。まあ、40人余りの方が集まって、軟球と、それからソフトボールの試合を四回戦ですか、なさったそうでございます。ほれで、じゅうと?の方が夜の会食を引き受けておられます。
 それで、まあ、それこそ、もう本当に帰って聞いてから、帰って来られてから聞かせてもろうてからたまがりました。とにかく、牛一頭(丸焼き?)してから、(ドンち来い?)とにかく食べられるしこ食べて下さい。沢山の、もう、とにかく家では出けんから、酒屋の倉庫がある、ご自分のお家の。その倉庫の中に、ずっとこう、ゴザを敷いて、それこそいくつもの七厘を起こしてのすき焼きである。もう、お酒、ビール酒は、もう飲み放題です。ほれは、もうずいぶん頂いたらしいですね。卵なんか、180個の一箱が無くなってしもうたち言うんです。
 一人でいくつ食べたろうち、家の若先生は六つも、ななつも食べたっち。(ほいじゃあきゅうにはあ?)まあ、ほんなこて、もう、すき焼きもせいぜい一つ食ぶるならですね、自分の後に、とにかくあのたまごを六つも七つも食ぶるなら、それはやっぱ、そう(        )私は思いましたけれども。ね。私はその事をね、聞かせて頂いてから、これで良かろうかと私が思うた。ね。それから、後から聞かせて頂いたら、その麻生さんがです。ね、だから、親切もすぎちゃいけませんですね。もう、試合の終わって帰って来よる時にあるおばさんがですね、もう一生懸命走りござる。それで、(    )聞いたところが、あんバスに乗り、乗り遅れたち言われる。
 それで、そのバスを追いかけて行く時にゃ、こんバスで行ったっちゃ、汽車に乗り遅るるか分からんち言うて、また駅まで送ってやりよる途中で、衝突した。ね。まあ、衝突と言うても、まあ、お互いちょこっとばかりへっこみ傷だったらしいんですけれどもですね。そのおばさんも気の毒なさったろうけれども、こっちも損であった。そういうような事があって良かろうか。そう思えてくる。私、そんな事に思いましてね、夕べはその事を思わせて頂いた。
 これは綾部さんに言うてから、あんまりその、甘やかしちゅうか、あんまり、もうとにかくその、飲み放題とか食べ放題というものが、これからはいっちょ止めち下さいち。もう、ありゃ、為になりませんよと。まあ、言おうかと私は思うた。そしたら神様からね、合楽金光教会と、こう頂いたんです。して、教会の会という字を、これを大きく頂いた。ね。ほして神様からね、この大きい事を、ケチじゃなくて、これと同じの合楽教会になったら良いちゅう事だった。これいっぱいに合楽教会と書いてある。この会て言う字が、これがはみ出ておる訳、そこ。
 なるほど、今の合楽には大きすぎる。けれども、なら、合楽がこのぐらいな事を平気で出けれるようなおかげ頂いとるじゃないかというような御理解でした。だからね、綾部さんには、それは、申しはしませんでしたけれども。ね。それに相応しい、例えばそれが頂けれるだけの信心を頂けという事なんです。それこそ、遠慮せろという事っじゃない、(       )という事じゃない。ね。食べ物は飲んだなりでもかまわん。だから、それだけの合楽の信心が全体的にです、大きゅうなったらいいという事を頂いてです、はあ、なるほどそうかなと思わせてもろうたがです。
 そういうような事があった後でございますから。ね。ある人が夕べその事を非常に心配、心に掛かりながら休ませてもろうた。ったら神様のそのお夢を頂いてから、言われること。ね。先生、お恥ずかしい話ですけれどもち言うから、何ですかち言うたら、いいえ、それがもう、ちょいともう、今朝からお知らせを頂きましたち、お夢の中で。それが先生、もうどんこん、恥ずかしゅうしてから、お届け出来ませんち。お届けの出けんなら言わにゃよかばってんか、そげん言うちからお届けにきちゃったわけですたい。
 ほして、どういう風なそのお知らせでしたかち言うたら、そんな貴方ち言うちから言わっしゃらんでおる。それから、まあ、その(ね?願い?)あってからお届けされるのに、実は先生、それはもう、見事な男のシンボルのね、その作り物を頂いたち。それは、もう見事なものじゃったげな。それけんね、それは貴方、家内に見せましたら、こりゃ素晴らしかあ!ち言ったげな。もう、ちょいと私はもう、恥ずかしゅうしてからお届け出けんばってん、やっぱ頂いたとおりお届けせにゃち言うてから、その何かいっちょんは恥ずかしこたなかよち私が。
 うん。そげんして頂いたが、一番分かりよかけんで、いや、だけんそれは今朝の御理解よと、私は話しました。ね。合楽のシンボル。それは菊の花なんだ。ね。だから、例えば、んなら、神様の御用で日田まで行った。そこで、自分が損せんならんような事が起こった、例えて言うなら。ね、その事でもです、神様のご都合に間違いはないと、痛かったけれども、その瞬間にはおかげを頂いて有り難い。ね、昨日の朝の御理解が、日田に行きよってから、誰もが寄って来んで。ね、それこそ、ほんな、もうすれずれのところで、おかげば、命、5人の者が命拾いをしたという話を朝の御理解で頂いた。
 だから、その事が思い出されたかどうか知らんけれども、私が聞いてそれを思うた。はあ、今朝の御理解、本当に朝の御理解に、あれ、頂かにゃいけんなと思うた。そういう事にもなり兼ねないようなところをです、たった、どのくらいか知らんけれども、ちょこっとばっかり修繕をするくらいにおかげを頂いて、お互いが、両方が一応の(騒動?相談?)を通ったそうですから、お互いが引き分けになった。アンタんがたはアンタが修理をして下さい、私のは私が修理をするけんでというような事で、話がついた。ね、それは、困った風にもあるけれども、おかげであるという次の瞬間にです、おかげと思わせて頂けれるという事なんだ。
 今日の、なら御理解がそう。一心と定めいという事は、すべての事を有り難いと答えの出るところまで、煎じ詰めて行く事なんだと。ね。それをです、ね、自分だけが有り難いというのではなくて、家内に握らせたら素晴らしかというごたるとじゃなかにゃいかんち。今日は、もう日田にこう行ったら、これが、そうにアンタ、神様の方に行ってから損したじゃんの。日にちもアンタ、ね、一日間棒に振っただけではなしに。はあ、アンタ(       )なったのち、両方が言うなら、もうどんこん出けんですもんね。それけん、やっぱ、それこそアンタもう、それこそ素晴らしかと握らしてね、こりゃ素晴らしかち握ったち。ね。
 それが、合楽の信心のシンボルなんですから、それが。しかし、神様ちゃね、その表現はともかくとして、素晴らしいでしょうが。だから、そんな風だけは素晴らしかち握ってから、他んとは素晴らしいじゃなかなら、どんこんされんち。ね。だから、合楽のいわばシンボルと言われる菊の花が、いつも絶えず、どのような場合でも有り難い、勿体無いという事にならなければならないという事なんだ。それを、アンタのものだけではなくて、家内にもそれを思わせれるだけの信心をして見て、為には大きな信心でなからにゃいかん、ああいう信心ではいかんと、今朝の御理解で頂いたその通りを、あんた頂いたんですよと言うて、お話をした事です。ね。
 今日、ちょうど四時の御祈念に、小倉の富永先生が御夫婦で、今日は朝から病院の方にお出でられて、で、あちらの幹三郎の主治医の先生。そして、他の先生方とも合われて、いわば、お医者さんとしての立場、で聞かなければならないお話。また、お医者さんの立場で伝えておかなければならない、主治先生のお話を聞かれて、今日はそれを持ってお出でて頂いたんです。もう、話を聞けば聞くほどに、おかげを受けておる事が、もう本当に驚きます。ね、皆さんも本当に、ああいう熱烈なお祈りの中に、沢山な人の祈りの中に、こういう奇跡。
 もう、とにかく今、医大中でですね、もうとにかく、まあ、不思議な事があればあるもんだと。ね。富永先生は野口さんと奥さんの息子さんに、その朝言われた事は、お母さん、もう、君達も、とにかく今度の幹三郎さんの病気は、(しん)先生が見たても私が見立ても皆同じだ。(病棟?)並べておるのも、やっぱりそうなのだ。だからね、90、100のものが99は助からんごとなっとるとよち。お母さん、しっかり拝んで下さい、しっかり御信心をして下さいち。ね、その一つは、もう助かるのじゃない。それが起これば奇跡だと。医学の奇跡が現れなければならない時ですから、お母さん、良子しっかり頼むよと言うて、その朝に言われたそうです。
 今日その親子三人で、富永先生がそういう事を言われた時にです、これはもうどういう事になるものかと思うたと。それは話を聞かせて頂けば頂くほどです、もうただ合点が行かん。もう、手術するまでそれだと決まっとった。だか、その為の例えば、それを研究する事のために集まっておる、例えば、言うならば、それをまあ固唾を飲んでそれを待っておられたちゅうぐらいな状態であった。ね。それが実際、開いて見たところが、もう全然、自分達がまだ見た事も聞いた事もないという病気になった。
 いっぺんにして、一夜にしてですね、言うならば一瞬にして変わった、状態が。親先生が、私がここに、小倉から参りました時に、富永先生、これはね、貴方がたの見立てから言うと大変な事でもあろうし、また、これまで放っとったという事は、酷にも思いましょうけれども、決してそんな事はありませんて。いや、私はここで助かるとか、助からんという事は、もう先生に任せてあるけれどもです。ね、もう、絶好の一番良い機会を与えられておるのですから、先生、そのおつもりで、どうぞ病院へ連れて行って下さいと言うて、私が申しました。そういう事を、今日また改めて申しておられました。先生が言われた通りの事になって来た。
 そういうね、おかげを頂いて。まあ昨日は自分で小便に立って行けるほどしのおかげを頂いた、こう添えてやれば。今日は寝台の上にです、しばらくこうやって起き上がっておるということ。明日はいよいよ抜糸のおかげを頂くということ。今日夕方若先生と大祭の帰りにあちらに回って寄って来たんだそうです。したところがその僕はね、そのお父さんに似てから、心がこまいち言うた。まあお父さんと似てから、心がこまかち。
 けん、明日、この糸ば縫われるとが痛かろうちゅう、そういう風だった。ところがね、おかげですね。嘉郎さんがこの頃、ここばなん針か縫うた。そん時に抜糸した時の体験を話したら、安心したち言うたち。神様のご都合ちゃね、何から何までおかげを下さるもんだと思います。ね。例えて言うなら、これはもう、本当に合楽のある限り、この話が残る事でしょう。私どもの幹三郎の入院、いや、入院ではない、あの、私ども親子三人で御本部参拝させて頂いて、これが最後の御本部参拝になるかも知れん。
 これが親子一緒の旅行は、これが最後かも知れんというような、ある意味での、そういう悲壮感の中にですね、御本部参拝をさせて頂いて、帰って参りまして、なら、今日までではない、もう、おかげを頂いて、退院して帰ってくるまでのお話がです、ね、どれほどにかこれから先の信心の、いわば、まあ、言うならばちょっとした見本。幹三郎にとっては、もう、これが、いよいよ信心の土台に基礎になる事であろうと、私は思います。ね。それほどしの事がですね、まあ、言うならば打てば響くほどしのおかげであると、私は思うのです。ね。
 その打てば響くほどしのおかげという、そのおかげが、そんなら、そこまでに持ち込まれて来るまでにです。ね、いわゆる一分一厘間違いのない働きの中に、ああだった、ちょいと思いついて病院に行こうかというたのでもなからなければ、ね、ちょいと思い付いて、なら御本部参拝をしようというとでもなくて、もう、実にそうしなければならない、そうなるべくしてなるんだと、思わなければおられないほどしに、間違いのない働きの中にそれが起こったという事なんです。
ね。だから、ある意味において、ね、安心しておれるようなおかげと。今日、富永先生が言うておられます。ね、昨日もあるお年寄りの方の、やはりその、ここの病気のために亡くなられた。家族の方達が見えられましてね、本当に富永先生、今度はもう先生におすがりしきってね、もう、それこそ手を尽くされるだけは尽くさせて頂いて亡くなったのでございますから、ね、もう本当に御霊様に、仏に代わってお礼を申しますと言うてから、その人がお礼を言われた。
 だから先生、私は思いますのが、医者としてね、もう大変な役目をこうやって頂いておりますけれども、どうこう、ね、必ず全快するとか、しないは別としてです。もう、富永先生の手を握ってもろうて亡くなるのなら、まあ、それでお礼が言えれるというような医者になりたいと思うとりますち言っておられます。先生、私と同じ事が言いよんなさるですねて言うて話しました。私もそう。親先生のお取次ぎを頂いて右になるのであるから。親先生のお取次ぎを頂いて左になるのであるから、もう他に言う事はないというほどしのです、先生を私は目指させて頂いておると言うて、二人で同じいうならば境地を話し合った事でございます。ね。
 ですからね、私どもがね、なら一分一厘間違いのない働きというのはです、私どもが、その一つの楽譜を得とくして、ね、その楽譜通りに言うならば吹くならばです、もう、間違いのない音色が出る事は、もう絶対のものなんだと。だから、問題はそれを本気で金光様の御信心ぶりというものを身につけるという事なんだと。ね。もちろん、そこにはですね、ね、本当にお礼を申し上げる事、またはお詫びをしなければおられない事はありましょうけれども、そこは、一つお詫びで補うて行こうじゃないですか。ね。そして、どのような場合にでもです、ね、喜びという、有り難いという焦点。
 いわゆる、そういう答えの出て来る生き方をさせて頂いて、ね、稽古させて頂いても、有り難いという答えが出ないでもです、そこに焦点を置いての信心をさせて頂くならです、必ず、ね、三年、五年、信心させて頂きゃ、ね、まだ出けないにいたしましても、十年と信心が続いたら、我とわが心を奉れと仰せられるほどしの心も開けて来る。そこから、絶対の神様。ね。
 一分一厘間違いのない神様。言うなら、中村さんの言葉を借って言うなら、打てば響くほどしのおかげを下さる事の出来れる神様。それにはね、いわば、その中村さんの場合じゃないけれども、ね、そういう例えば信心させて頂いとって、有り難いと口に言いながら、娘をゆっくり休ませられない事が難儀だと感じ、そういう思い方の時には、もう、その場で神様がお気付けを下さっておられる。ね。
 だから、そういう間違いのないお気付けも頂かせてもらいながら、改め改めして、信心を進めて行くということ。ね。一心と定めいという事はです、信心とはそれだと。もう、信心はここに極まったという、私は信心をさせて頂いてね、おかげを頂いて行こう。ね、私どもには、まあだ足りないところばかりであるけれども、神様はより大きなおかげを下さろうとする為に、例えば、んなら、綾部さんなら綾部さんのような方が御神縁を頂いて、合楽にはちった憚りきらんぐらいな大きなおかげを見せてくださる。
 だから、これは、ちった自分どんには分に過ぎるけんで、ちっと縮めて下さいなんていう事は言わずに、神様がそういうお働きをして下さるであるから、こちらの方が、これだけの大きさの、大きい信心を目指させて頂いたら良いという事になる。ね。私は人間心使うとか、使わないとかというような事でもです、今日、富永先生が見えられましたでしょう。ね、それで、応接に通ってもらってお茶を差し上げようと、こういう気持ちもあるけども、もう、四時の御祈念ですから、四時の御祈念。
 やはり、当たり前にさせて頂こうと思うて、御祈念をさせて頂いた。霊神様の方で、それでもう、とにかく、待ちなごうあんなさろうと思うた。人間心で立ち上がろうかと思うた。そしたら神様がね、あんころ餅を御心眼に下さった。ね、餅ということは、心持という事でしょう。あんこという事は、甘いという事でしょう。ね、例えばこういう場合には、あんころ餅で行けよという事なんだ。だから、いつも40分、50分もかかるのは、今日は20分か25分ぐらいで立ち上がった。
 それで、なら、どういう風な事か。私の人間心ではないという。信心ちゃ、そんなに見やすいもの。ね。信心じゃから、いや、50分座っとかにゃいけんち言うて、信心、後ろに座っとるとが待ち長い人達のために、そんな事はないということ。ね、だから、この事は、まちっと説明しなきゃいけませんけれどです。信心というものを難しいものにせずにね、もう見やすう出ける。しかも、その楽譜を覚えればですよ、ね、それが楽しゅう吹く事が出ける、鳴らす事が出けると言うのです。ね。そこから、有り難いリズムに乗ったおかげが伴うて来る事は、もうもちろんであります。
   どうぞ。今日は時計がないからね、向こうの方から手が上がる事になっとったんです。今手が上がった。はっはっは。